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2013年10月9日水曜日

スポーツの始まり。



今では「”ランナーズハイ”とは脳内麻薬といわれる

"エンドルフィン”が分泌され気分が高揚します」とか

わかってて、

スポーツとしての

”マラソン”を走ったりしますが

そもそもは目的があって走っただけですよね。

”ギリシャ軍の勝利を伝える為にマラトンから

アテネまで走った兵士”がいたからこそ

今の『マラソン』があるんですね。

私の勝手な見解ですが、

おそらくその時は周りでは

「あいつマラトンから走ってきたらしいよ」

「俺ならあいつよりもっと早く

走れると思うけどな〜」

「よし、今度皆で走ってみよう!」

...てな具合なんじゃないかと...。

早さを競うものはもちろん

遠く、とか高く跳んだり

遠くに投げたりするのも

『きっとあいつより俺の方が』から

始まったんですよね。

更にその時の状況...とでもいいましょうか。

”棒高跳び”や”バスケ”なんかは特に

”始まりの時の状況”がイメージしやすいスポーツだと

思います。

それに比べて(これももちろん勝手な見解ですが)

”競歩”というのは、

”始まりの時の状況”がどうもイメージしずらくて

『気になり』です。